2014.11.05
看板設置していただきました!
地元、今野建築さんに、
敷地の入り口と、玄関脇の建物の角にくっつく形のものと、
「七ヶ宿の白炭」と「すみやのくらし」の看板を設置していただきました。
うちには、立派すぎるくらいです。
この看板に見合うような仕事をしていけるよう、頑張ります!

玄関脇の看板。両方とも材はカエデ。

敷地入り口の看板。上はケヤキ、下はタモ。
不思議なもので、ある環境が整うと、自然とそれに合わせて質が上がっていくような気がします。
というか、上げようと努力したくなります。
形は心。
形につられて心も整っていく……。
本当は、どちらが先ということでもないでしょうけど……。
「手段は即結果」ということにも、似ているような感じです。
身が引き締まる想いです。

現在の自宅近くの紅葉。
敷地の入り口と、玄関脇の建物の角にくっつく形のものと、
「七ヶ宿の白炭」と「すみやのくらし」の看板を設置していただきました。
うちには、立派すぎるくらいです。
この看板に見合うような仕事をしていけるよう、頑張ります!

玄関脇の看板。両方とも材はカエデ。

敷地入り口の看板。上はケヤキ、下はタモ。
不思議なもので、ある環境が整うと、自然とそれに合わせて質が上がっていくような気がします。
というか、上げようと努力したくなります。
形は心。
形につられて心も整っていく……。
本当は、どちらが先ということでもないでしょうけど……。
「手段は即結果」ということにも、似ているような感じです。
身が引き締まる想いです。

現在の自宅近くの紅葉。
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2014.09.27
詩:真実の栗の実

秋の空気に浸ったせいか、散歩ついでに栗拾いをしていたら
「真実の栗の実」という言葉がやってきたので、
秋らしく、詩、のようなものを。
ーーーーーーーーー
今朝の散歩では23個
今夕の散歩では18個
栗の実拾い、真実の栗の実
拾ってる先から、ぼたりぼたりと
黄金の茶色、青さ残る栗のいが
いがを足で むくようにして踏んづけ、
顔を出す光る栗、心満たす茶の黄金
すぐに茹でて、家族のおやつ
「こんなにうまいものはない」
深く深く、真実の味わい
私が生まれてきた山から、そしていずれ還ってゆく山から
真実がひとつ、またひとつ
私は栗、栗は私、真実の巡り
人の世で争いは尽きないが
身の回りで悲しみや寂しさは尽きないが
どうなっても、どうあっても
私が還る、私を確かめる
真実の栗の実
こんなにも困難な時代だが、
そんなにも狂気の欲望渦巻く世の中だが、
ここには
真実の栗の実
またひとつ真実の落ちるこの山の道
私のありかを見定める
私が立っている場所を確かめる
私のゆく場所を確信する
真実の栗の実
悲しみの真実の実
ありがたさの真実の実
どこにもないようでいて
ここそこにある真実
すべては幻で それもまた真実
真実の栗の実 またひとつ
2014.09.14
息子の基地づくりと、鉈と。

もう何回目でしょうか。
息子の基地づくりが始まりました。
10歳前後の男の子にとって、
基地づくりという行為は、精神発達上、大変重要なことだと聞いたことがあります。
私も何回か、やった記憶があります。
うちには風呂焚き用にと、もらっておいた木製のパレットや廃材があったりするので、
材料には不自由しません。
3歳の誕生日に小さい鉈をわたしてありますし、6歳の時には小さいノコギリを贈ってあります。
すでにマイ鉈、マイノコがあるわけです。その鉈づかいはなかなかのものです。
けがはまずしません。
面と面を釘で打ち付けていく建築方式のものですが、
一段落すると、「お父さん、葉っぱついた枝とかない?」と言うので、
炭窯の近くにあった栗の枝葉を彼の希望する分、鉈で落としてあげました。
すると、始まったのが、上の画像です。
どうするのかと見ていたら、壁にその枝葉をさらに細かくして、覆い始めたのでした。
これは、いかにも昔の炭焼の居小屋の風貌です。
本式には、笹の葉で、屋根から壁から葺くのですが…。
教えずとも、彼がそのようにしたことに深く感じ入りました。
そして、この子の父親でほんとによかったなあと、思わず泣けてきてしまいました。
その後、彼が欲する材料があって、道具を格納してある小屋にいったら、
私が20過ぎの頃購入して、その後ほったらかしで、激しく錆びた細身の鉈が目に入りました。
こみ上げてきた想いも手伝って、今度はそれを彼に渡すことにしました。
グラインダーであらまし錆を落とし、砥石で研ぎ、鉈ざやも急遽こしらえてあげました。
彼が大満足だったのは言うまでもありません。
その後作業をこっそり見ていると、ほぼ完成したと思われる頃になって、
丸太を台にして、木切れや草を、新たに贈られた鉈で、
その切れ味を確かめるように、とんとん刻み始めました。
どんだけ切れるか、どのように切れるか、正しく男の子をしているなあと、ほくそ笑みました。
なにか、大事なものをひとつ、しっかりと彼に伝えられたような気がした夕方でした。

こちらは、久しぶりに原木の伐採現場についてきて、
腰にさげた小鉈で、枝の先を尖らせることに興じている様子です。
2014.07.23
美しい床

我が家の杉板の床に朝日がさしこんで、
とても美しく見えました。
走ったり、汚れた靴下で歩いたり
猫が泥を付けてきたり、ジュースをこぼしたり
昼寝したり、怒ったり、泣いたり
布団を敷いたり、あげたり、
落書きされたり、モノを落としたり、
大勢で飲み会したり、
時にはエゴマ油で磨いたり……、
ひとつひとつの暮らしの積み重なりが、
この床の輝きに投影されているようで、
とてもとてもいとおしくなりました。
町内の山で自伐し、製材所で柱などの構造材を挽いていただき、
主に残りの部分からとった1寸3分(40mm)厚の杉板です。
近隣の木材会社で本実加工していただき、
私が張りました。
冬は乾燥して、板と板の隙間が広がります。
特に薪ストーブの前。
夏は湿り気を得て、隙間が狭くなります。
これからの暮らしがさらに積み重なり、
どんな味わいを醸し出してくれるでしょうか。
楽しみです。
2014.07.11
オオムラサキ!

国蝶のオオムラサキがやってきました。
我が家の居間に面した濡れ縁においてある樽に止まっています。
コムラサキというのもいるので、ネットで確かめてみると、
羽の下の方の赤の斑点模様や大きさから言って、オオムラサキで間違いないと思われます。
いろいろ調べてみると、
幼虫の食草は、エノキかエゾエノキのようなのですが、
このあたりでは見かけた記憶がありません。
疑問に思って、いろいろネットを見てみても、
どこもオオムラサキの幼虫の食草はエノキかエゾエノキとあります。
コムラサキはと調べてみると、こちらの幼虫の食草にはヤナギ類とありました。
ヤナギなら数種類、この辺りにあるのですが、赤い斑点からしてオオムラサキに違いないようなのです。
納得いきません。
そこで、とうとう、オオムラサキセンターなるサイトを見つけて電話して聞いてみました。
それでもやはり答えは「エノキかエゾエノキ」。
もしや遠くからくるのかと考えて、行動範囲を聞いてみると「せいぜい一山くらいでそんなに広くありません」との答え。
そこから考えられるのは、
エゾエノキがどこか近くにあるということです。
いつか出会えればいいなあと切に願います。
私の炭焼の師匠の石太郎さんが
「エノキはニセケヤキって言うくらいで、ケヤキにちょっとにてるんだ」と
言っていたことがありました。
何を隠そう、うちの大黒柱はエゾエノキで、馬方さんに頼んで山から出したものです。隣町の白石市、隣と言っても伐採現場までは40キロほどの場所に立っていた大木です。石太郎さんが炭の原木に買った山の中にあった2本立ちの大木でした。


伐倒直後

搬出の時の馬

2004年春の建前の時の様子。左手前が大黒柱のエノキ。6寸5分角。左後方は杉の向大黒7寸角。

ちょっと脱線してしまいましたが……。
その後、撮影のために開けていた窓を締め忘れていたら、
部屋の中に入ってきました。なにかおいしいものでもあったのでしょうか。
撮影後、網戸を開けてやると、すごい勢いで飛んでいきました。
鳥のような力強い飛翔で、あっという間に雑木林のコナラの梢のほうにいってしまいました。
自然に感謝。
2014.06.23
木の実豊作?
木の実が豊作です。
ウワミズザクラの実。まだ花が終わったばっかりの状態です。
このあたりでは、この桜のことを「メクラ」と呼んでいます。

ご存知、クワの実。黒いくらいになれば食べごろです。

震災による原発事故前は、こういったものを何の迷いもなくほおばっていましたが、
測定しないわけにはいかないので、熟したさきから集めて、冷凍保存し、
測定できるくらいの量になるまで、我慢です。1リットルくらいは必要です。
木の実を焼酎漬けなどにして、お菓子づくりにも生かしていければと考えています。
まさしく「すみやのくらし」。
山暮らしの我が家のおやつのおすそわけ。
コンセプトにあった商品づくりを心がけます。
ウワミズザクラの実。まだ花が終わったばっかりの状態です。
このあたりでは、この桜のことを「メクラ」と呼んでいます。

ご存知、クワの実。黒いくらいになれば食べごろです。

震災による原発事故前は、こういったものを何の迷いもなくほおばっていましたが、
測定しないわけにはいかないので、熟したさきから集めて、冷凍保存し、
測定できるくらいの量になるまで、我慢です。1リットルくらいは必要です。
木の実を焼酎漬けなどにして、お菓子づくりにも生かしていければと考えています。
まさしく「すみやのくらし」。
山暮らしの我が家のおやつのおすそわけ。
コンセプトにあった商品づくりを心がけます。
2014.05.26
雨の音を味わう
いつもの場所に
銀竜草がお目見えです。
脇にあるで若葉は、コナラの実生です。

雨の夕暮れ、雨の音をひさびさにじっくり聞いて
しみじみとしたことでした。
画像は、しとしとと降り始め、ぬれ始めた新緑です。
居間からの風景です。

雨の音、ケラのドラミングの音、フクロウの鳴き声…
昨日はエゾハルゼミが鳴き始めました。
見るものは、目を凝らして、
聞くものは、耳を澄ませて、と言いますが、
今日は、耳を凝らして聞くという感じがぴったりのように感じました。
銀竜草がお目見えです。
脇にあるで若葉は、コナラの実生です。

雨の夕暮れ、雨の音をひさびさにじっくり聞いて
しみじみとしたことでした。
画像は、しとしとと降り始め、ぬれ始めた新緑です。
居間からの風景です。

雨の音、ケラのドラミングの音、フクロウの鳴き声…
昨日はエゾハルゼミが鳴き始めました。
見るものは、目を凝らして、
聞くものは、耳を澄ませて、と言いますが、
今日は、耳を凝らして聞くという感じがぴったりのように感じました。
2014.05.11
母の日に
母の日、くるみラジオフェスに出かけました。
たくさんのご縁をいただき、大変楽しい時間を過ごすことができました。
今日お会いすることのできた「森と風のがっこう」の吉成さんは
宮沢賢治さんが大好きということで、賢治は法華信者でもあり、
そこから、連想されたのかなんなのか、
出かけた話とは関係ないですが、
母の日ということで
むか〜〜し、サイトにアップしていた
母宛に書いた詩(詩を書いたのは1989年)の記事(記事を書いたのは2002年)が出てきましたので、再掲します。
詩を書いたのは、私がたった1年で教員を辞めた翌年で、半分勘当されていた時のことです。
読み返してみると、
奇しくも、現在妻が数えで46なわけで、その年と同じ母に送ったことになり、
そう考えると、なんとも時の流れの早さを感じたりします。
以下コピペーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
02/02/10夜 創価学会員のSさんが、こんどは奥さんと隣の白石市の学会員さんを伴って再訪問。ひとしきり、それぞれの学会入信の成りゆきやお題目を唱えるといかに素晴らしい力が出てくるなどをお聞きした後、私なりに、はっきりと入る気は全く無いことをお伝えする。話も佳境に入った頃、Sさんの奥さんに「批判されてしまったけれども……」と言われてしまった。こちらは、批判するつもりなどは全く無く、できるだけ相手を傷つけないようにと配慮して話したつもりが、「批判」にとられてしまって、「そういうふうに感じさせてしまったのは私の未熟さですね」と応えておいた。こころの中にいかに「和」を持って応じられるか、よい修行である。批判と事実は混同されやすいということはあるが、認識の違いをはっきり聞き取ろうと、話しに集中していた力が、相手に刺さるように行ってしまったのかなと、少し反省する。
それにしても、今回のお話で、つくづく日蓮さんの強さ、激しさを感じたことだった。創価学会の活動にしても、それに入信している方にしても、不惜身命で、勇猛果敢に法華経による世直しを願った日蓮のすさまじさを感じずにはおられない。その日蓮さんの持つエネルギーは、脈々と現代まで、なんらかの形で人々に働きかけているということを、今さらながらに感じたことだった。
不思議と記憶が全くないのだが、私は2歳と3歳の時に2回、腸重積という病を患い、何件か病院をたらい回しにされたということがあり、その時に母は藁をもつかむような気持ちで創価学会に入信したという経緯があり、そんなわけで、子どもの頃から、母が唱える「南妙法蓮華経」をまるで音楽を聞くように耳にしていた。私が教師を辞めた直後、そんな母に送った拙い詩を転記することにする。
母のうた
あなたは 朝に夕に 南無妙法蓮華経と繰り返す
仏壇の前に正座して 手には数珠をかけ 合掌 眼をあつくして
疲れきったその声で かすれがすれの祈りの声で
それはあなたの子であるわたくしが 幼い頃に腸を患った時以来
毎日毎日 究極の祈りの声で
あなたは 南無妙法蓮華経と繰り返す
朝には家族の無事を祈り 夕には生かされてあることに感謝して
かつてわたくしは あなたの思い通りに生きているわけではないといって
あなたを泣かせたことが幾度かあった
しかし わたくしが生きていくのは 金のためでも 安定した暮らしのためでも
世間体のためでも あなたのためでさえもなく
わたくしがわたくしであるために 生きていくのだということを
すでに知ってしまったわたくしは ただ涙を流すしかなかった
そんなわたくしを おそらくあなたは 南無妙法蓮華経と繰り返しながら 憎みもしたろう
だからこそわたくしも あなたの涙に 南無妙法蓮華経と繰り返す
あなたのひびわれた親指に あなたの青白いふくらはぎに あなたのやつれた背中に
あなたの究極の祈りの声に 南無妙法蓮華経と繰り返す
母の46度目の誕生日に(1989/11/22)
たくさんのご縁をいただき、大変楽しい時間を過ごすことができました。
今日お会いすることのできた「森と風のがっこう」の吉成さんは
宮沢賢治さんが大好きということで、賢治は法華信者でもあり、
そこから、連想されたのかなんなのか、
出かけた話とは関係ないですが、
母の日ということで
むか〜〜し、サイトにアップしていた
母宛に書いた詩(詩を書いたのは1989年)の記事(記事を書いたのは2002年)が出てきましたので、再掲します。
詩を書いたのは、私がたった1年で教員を辞めた翌年で、半分勘当されていた時のことです。
読み返してみると、
奇しくも、現在妻が数えで46なわけで、その年と同じ母に送ったことになり、
そう考えると、なんとも時の流れの早さを感じたりします。
以下コピペーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
02/02/10夜 創価学会員のSさんが、こんどは奥さんと隣の白石市の学会員さんを伴って再訪問。ひとしきり、それぞれの学会入信の成りゆきやお題目を唱えるといかに素晴らしい力が出てくるなどをお聞きした後、私なりに、はっきりと入る気は全く無いことをお伝えする。話も佳境に入った頃、Sさんの奥さんに「批判されてしまったけれども……」と言われてしまった。こちらは、批判するつもりなどは全く無く、できるだけ相手を傷つけないようにと配慮して話したつもりが、「批判」にとられてしまって、「そういうふうに感じさせてしまったのは私の未熟さですね」と応えておいた。こころの中にいかに「和」を持って応じられるか、よい修行である。批判と事実は混同されやすいということはあるが、認識の違いをはっきり聞き取ろうと、話しに集中していた力が、相手に刺さるように行ってしまったのかなと、少し反省する。
それにしても、今回のお話で、つくづく日蓮さんの強さ、激しさを感じたことだった。創価学会の活動にしても、それに入信している方にしても、不惜身命で、勇猛果敢に法華経による世直しを願った日蓮のすさまじさを感じずにはおられない。その日蓮さんの持つエネルギーは、脈々と現代まで、なんらかの形で人々に働きかけているということを、今さらながらに感じたことだった。
不思議と記憶が全くないのだが、私は2歳と3歳の時に2回、腸重積という病を患い、何件か病院をたらい回しにされたということがあり、その時に母は藁をもつかむような気持ちで創価学会に入信したという経緯があり、そんなわけで、子どもの頃から、母が唱える「南妙法蓮華経」をまるで音楽を聞くように耳にしていた。私が教師を辞めた直後、そんな母に送った拙い詩を転記することにする。
母のうた
あなたは 朝に夕に 南無妙法蓮華経と繰り返す
仏壇の前に正座して 手には数珠をかけ 合掌 眼をあつくして
疲れきったその声で かすれがすれの祈りの声で
それはあなたの子であるわたくしが 幼い頃に腸を患った時以来
毎日毎日 究極の祈りの声で
あなたは 南無妙法蓮華経と繰り返す
朝には家族の無事を祈り 夕には生かされてあることに感謝して
かつてわたくしは あなたの思い通りに生きているわけではないといって
あなたを泣かせたことが幾度かあった
しかし わたくしが生きていくのは 金のためでも 安定した暮らしのためでも
世間体のためでも あなたのためでさえもなく
わたくしがわたくしであるために 生きていくのだということを
すでに知ってしまったわたくしは ただ涙を流すしかなかった
そんなわたくしを おそらくあなたは 南無妙法蓮華経と繰り返しながら 憎みもしたろう
だからこそわたくしも あなたの涙に 南無妙法蓮華経と繰り返す
あなたのひびわれた親指に あなたの青白いふくらはぎに あなたのやつれた背中に
あなたの究極の祈りの声に 南無妙法蓮華経と繰り返す
母の46度目の誕生日に(1989/11/22)
2014.04.22
雪融けの後、萌の前
雪融け直後の、草草が萌える直前の風景にも
一興、趣深いものがあります。
積雪時の真っ白のモノトーンの世界、そして萌えはじめれば鮮やかな萌の世界…。
その狭間のこの瞬間は大変殺風景ですが、
その殺風景さそのものが、この時期独特の味わいであるようにも思います。

こちらは、モグラ?か野ネズミ?が雪の下で活動していた跡です。
掘りながら、わずかな枯草を食べているようでもあります。

コナラのドングリがが外殻を割って、根を出し始めました。

家のまわりの雪も北側にわずかに残すのみとなりました。
赤く塗ったあたりまで、積雪はありました。
一興、趣深いものがあります。
積雪時の真っ白のモノトーンの世界、そして萌えはじめれば鮮やかな萌の世界…。
その狭間のこの瞬間は大変殺風景ですが、
その殺風景さそのものが、この時期独特の味わいであるようにも思います。

こちらは、モグラ?か野ネズミ?が雪の下で活動していた跡です。
掘りながら、わずかな枯草を食べているようでもあります。

コナラのドングリがが外殻を割って、根を出し始めました。

家のまわりの雪も北側にわずかに残すのみとなりました。
赤く塗ったあたりまで、積雪はありました。
2014.04.17
ウッドボイラー

我が家の風呂と給湯は、
すべてウッドボイラーという
薪を燃やすボイラーです。
燃料の木材は、無料でいただいた廃材を
ボイラーに入る長さ(80cm)にチェンソーで刻んだものを使っています。
つまり燃料費はチェンソーの燃料分だけということになります。

毎日夕方に火をいれます。1回きりです。
真冬でも夕方に1回です。
夏場であれば、翌日の夕方の火を入れる直前でもあったかいシャワーを浴びることができます。
真冬でも翌日夕方になんとかお湯を使えることもあります。
今日の夕方は、焚く前で30度あったので、焚く木材の量は下の画像の分で足りそうです。
軽く二抱えといったところです。

大変重宝しています。
このこのウッドボイラーはエーテーオーというメーカーのものです。

春の夕日の中、今日もボイラーに火が入り、煙がたなびきます。
2014.03.14
乳酸菌冷蔵庫

我が家の冷蔵庫には、
震災以来、
ほぼとぎれることなく
乳酸菌ジュースと豆乳の乳酸菌ヨーグルトがありますが、
冷蔵庫の中がすっかり乳酸菌環境になっているようで、
口をあけたジュースや豆乳が、
何もしないで、発酵が始まったりします。
画像は、数か月前にいただいたトマトジュースの発酵が勝手に進んで
ペットボトルの底がでべそ状態になったものです。
この調子で、部屋中が乳酸菌環境になればしめたものですね!!

まだまだ雪深い当地です。
2014.03.06
こけし工人来訪
家内の専門学校時代からの友人からのご縁で
山形の女性のこけし工人の梅木さんが、
その友人とともに訪ねてくれました。

彼女の作品(マフラー巻いてます)もいただいてしまって、感激。
炭の話やら、原木調達の話、薪割の話などをしました。
11月には仙台の藤崎で個展を開くそうです。
以前から、実物を見てみたかった「くらしっく」もいただき、うれしいことでした。
この季刊誌を作っているのは、我が家の刻みをしていただいた大工さんの高木さん(古民家ライフ)で、
これまた繋がって、ご縁のありがたさをかみしめたことでした。
山形の女性のこけし工人の梅木さんが、
その友人とともに訪ねてくれました。

彼女の作品(マフラー巻いてます)もいただいてしまって、感激。
炭の話やら、原木調達の話、薪割の話などをしました。
11月には仙台の藤崎で個展を開くそうです。
以前から、実物を見てみたかった「くらしっく」もいただき、うれしいことでした。
この季刊誌を作っているのは、我が家の刻みをしていただいた大工さんの高木さん(古民家ライフ)で、
これまた繋がって、ご縁のありがたさをかみしめたことでした。
2014.01.28
光の春

毎冬、この雪上の樹影は、なんとも美しくて
ついついカメラを向けることになります。

樹影が美しい分、日の光のありがたみをおおいに感じます。

谷間だとこんな感じ。

南に掃出し窓のある居間に差し込む光も暖かです。
まだ立春まえですが、光の春を感じます。
2014.01.15
黒ウサギ(桶のおまる)嫁ぐ
昨年に続き、MJ(MJgreenmountainというミュージシャン)とひろこさん家族が新しい命を連れて、
拙宅を訪ねてくれました。
ひろこさんの実家が仙台なので、年末年始の帰省の折に立ち寄ってくれました。
赤ちゃんの名前は「マラマ」ちゃん。
お二人が出会ったニュージーランドのマオリの言葉で「満月」だそうです。
マラマちゃんが来て、円はすっかりばあちゃん状態でしたが、
うちの子どもたちが使っていた桶のおまる、通称「黒ウサギ」(岩手の友人で南部桶正の奥畑さん作/うちの浴槽も彼に依頼して作っていただきました)が話題になって、
マラマちゃんに使って頂くことになりました。アメリカにもっていってもらいました。
よかったよかった。

この黒ウサギは、柿渋で仕上げてあります。アンヨがのる台座の部分は分解することができます。
桶の胴を締めてあるタガは真鍮です。世界に2つしかありません。

お茶に造詣が深いMJが、持参の道具でプーアール茶をご馳走してくれました。

いま拙宅まわりの積雪状態はこんな感じ。1メートル以上あります。

MJの音楽はこんな感じ。
拙宅を訪ねてくれました。
ひろこさんの実家が仙台なので、年末年始の帰省の折に立ち寄ってくれました。
赤ちゃんの名前は「マラマ」ちゃん。
お二人が出会ったニュージーランドのマオリの言葉で「満月」だそうです。
マラマちゃんが来て、円はすっかりばあちゃん状態でしたが、
うちの子どもたちが使っていた桶のおまる、通称「黒ウサギ」(岩手の友人で南部桶正の奥畑さん作/うちの浴槽も彼に依頼して作っていただきました)が話題になって、
マラマちゃんに使って頂くことになりました。アメリカにもっていってもらいました。
よかったよかった。

この黒ウサギは、柿渋で仕上げてあります。アンヨがのる台座の部分は分解することができます。
桶の胴を締めてあるタガは真鍮です。世界に2つしかありません。

お茶に造詣が深いMJが、持参の道具でプーアール茶をご馳走してくれました。

いま拙宅まわりの積雪状態はこんな感じ。1メートル以上あります。

MJの音楽はこんな感じ。