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ミーが帰幽しました。

みなさんからいただいたたくさんの祈りもむなしくというよりは、
お陰様で彼女の苦しい時間を少なくできたようにも思っています。感謝です。
ありがとうございました。

お礼がてら、帰幽までのことを忘れないうちに書き留めておこうと思います。

退院後の経過の診察ということで、家内が今日の午後動物病院に連れて行きましたが、
やはり容態は思わしくないようで、
カリウムとカルシウムの血中濃度の低さに先生も驚いていた様子だったということでした。
脱水症状もあったとのことで、背中に点滴をしていただきました。
その処置を受けている時も、ミーは家内の方をじっと見ていたそうで、
「大丈夫。今度は絶対連れて帰るから、入院にはしないから」と家内はミーに話したそうです。
家内は家路につくまでもつかなとも思ったそうですが、
家に着いた時には、もうふらふらで歩くような状態でした。
家内と獣医師さんの所見の話や今後の処し方について少し話し合いました。
お空に帰るのに寄り添うことにしようということを確認しました。

ミーの様子を見ると、低血糖の時の症状である涎が出ていたので、
私が彼女を抱きかかえブドウ糖液を与えようとスポイトを彼女の口のところに持っていた刹那、
ミーと視線が合いました。
彼女は「もういいよ」と言っているようで、
思わず「だめだ、もう足すのはやめよう」とこみ上げてきてしまいました。
そのまま見守ることにしました。
終わりがじきに来ることを予感した瞬間でした。
夜に会合がある家内は慌ただしく夕食の準備を終え、いつもよりは少し早めの夕食になりました。
「いただきます」をした後、子どもたちにも、
ミーの死期が迫っていること、
ミーの目が訴えていたこと、
だから延命のために何か足すのはあえてしないことにすることを、
こみ上げながらやっとのことで伝えました。
家内は私が崩れてしまっているので、気丈にしなければと、空元気を出していました。
夕食後も、私はひたすらミーに寄り添うことにしました。
「絶対帰るまでは待っててよ」と言い放って家内と息子は出かけました。
様子は急変し、彼女は這うようにしてしか動けなくなりました。
8時過ぎに、明日は早起きしてテスト勉強をすると言って早めに寝ると娘が言うので、
「最後かもしれないよ」とミーを抱っこするよう促しました。
9時を回って、家内と息子が帰宅、ミーはもう青色吐息でした。
息子は目を赤くしている私を見て、何とも言えない表情を見せ涙をこぼしました。
ミーの様子を見て言わずとも彼女の最期を察知したようでした。
息子の涙を見てしまったら、またまた私もこみ上げてきてしまって、
これはいかんと、息子の視野から少し隠れるようにしました。
息子の涙は私にはきつすぎました。
いよいよ迫っていることは明らかでした。
家内がベッド入った娘を起こし、家族4人で横たわっているミーを囲みました。
起きてきた娘もミーのことの次第を了解したようで、
日頃ポーカーフェイスなのが涙をポロリ、これまた強烈でした。
何回か苦しそうに嘔吐するふうな様子を見せた後、
それまで膨らむのとしぼむのを繰り返していたお腹が動かなくなりました。
それでもまだ心臓は止まっていないようでした。
数回同じく嘔吐様の動きをし、ミーは「ニャオ」と一声残してお空に帰りました。
苦しそうな時間は短くて済んだように感じました。
しばし皆涙を流しました。
ミーと過ごした18年余を感謝しました。午後10時過ぎでした。

見事な今生の最期だったと思います。
私は明日から木質炭化学会の勉強会で1泊で盛岡行きだったので、
それに合わせるようにしての帰幽となり、ある意味絶妙のタイミングでもありました。
そういった意味でも、ミーは最後まで魔法猫でした。


勉強会終了予定の29日夜は、
首相官邸周りでの「大飯原発再稼働反対」の集会(6/22の夜は45000人が集った)があって、
家族4人で参加したいくらいだなんて家内と話していたのですが、
ミーのこともあり、今回は無理だなと諦めていました。


「やっぱりオレ東京言ってこようかな、竹ボラもって」と言うと、
家内は「ミーが行けって言ってくれたんだよ」。
鎮魂と再稼働反対の竹ボラを吹きに、29夜は家族代表で首相官邸に馳せ参じます。


ミーよ、安らかにあれ、オンムニペメフン(観音様のマントラ)。

mi-2012-6
てとてと春号てとてとテーマソングのPVの猫の手はミー手です。これはその撮影の時の一枚。2012-3月。
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2012-6-mi-1
1994春生まれの我が家の猫のミー(♀)の調子が悪くなり、急遽入院、10日間して退院し、
彼女の介護生活が続いています。

診断では糖尿ということで、血糖値が不安定な状態です。
ご飯は注射器を使って口の中に押し込む強制給餌、インスリンの注射を日に2回しています。
自分で食べるようになってくれたらいいのですが、なかなか状態は思わしくありません。
漢方治療、自然治療でと、いろいろ調べましたが、なにか施せるような、そんな状況でもなさそうです。

突然のことでした。
というか、気づかずにいただけなのかもしれません。
拙宅回りは、未舗装なので、
ミーは外出して帰宅すると、すぐにその泥足をなめていました。
その泥に含まれていただろう放射能の影響も少なからずあるだろうとも思います。
猫自体は体重も少ないので、人よりもずっと微量で影響は大きいはずです。
私や家内、子供たちを守ることに重点がいってしまっていて、
正直猫のことまで思いが足りませんでした。
犬たちには、ときおり米のとぎ汁乳酸菌を与えています。

まだ帰幽すると決まったわけではありませんが、
思い起こせば、ミーはいつも私たちを守ってくれていたと思います。
自宅出産だった息子の誕生に際しては、
産室にしていた部屋の入口のところに微動だにせずに座り込んで、
入ってくる邪気から新しいいのちを守ってくれているようでした。

いつも、なぜか、彼女はそういった家族によくないものを察知していて
それに立ち向かうようにして、境界のところに門番のようにしていたことがよくありました。

我が家の魔法猫です。守り猫です。

入院から退院まで、
毎日のように車で1時間かけて、子供たちと入院先の動物病院に通いました。
毎夕食の前には、家族4人で手を繋ぎ、
目を閉じて、それぞれが金色の玉のようなものをイメージして
入院先の彼女のところに届けるイメージの瞑想をしました。
時にはナウシカのオームの金色の触手をイメージして……。
退院後は直接彼女に4人の手をあてて、祈りを続けています。

しかし、あまり具合は良くはなりません。
年も年なので、致し方ないことかもしれませんが……。

これよりもさらに悪化した場合、延命の入院はしないでおこう、
ここで最期まで過ごさせてあげようと、家内と覚悟は決めています。

よろしければ、ミーに皆さんの祈りを送ってください。


2012-6-mi-2
入院2日目

2012-6-mi-4
入院4日目

2012-6-mi-5
退院帰宅後2日目、水を飲むミー。

2012-6-mi-6
退院帰宅直後、近くの沢に向かうミー。家の外へふらふらになって、休み休み歩いていくので、そのまま自由にさせてあげていたら、彼女はいつも飲んでいたであろう水場の沢に向かったのでした。
大と吉の散歩の様子です。
2分弱の動画にしてみました。
サルを見つけると吠えて追いかけたりするので、
お蔭で畑にはサルが来なくなりました。

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