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2012-6-29-2
盛岡で開催された木質炭化学会を中座して、官邸前に馳せ参じました。
5時半くらいに東京メトロの国会議事堂前駅3番出口を出ると、
すでに長蛇の列で、その列の最後尾に向かっていくように誘導する方々がいました。
私の数人前には、黄色い袈裟に南無妙法蓮華経のうちわ太鼓の日本山妙法寺の僧の方々がいました。

21年前、やはり東京日比谷公園で今は亡き高木仁三郎さんらの呼びかけで脱原発の1万人集会があり、
私も当時住んでいた岐阜から参加していました。
公園で様々なアピールがあり音楽あり出店ありで賑やかでしたが、
若かった私は、なにか内輪だけで盛り上がってるだけのような空虚さを感じて、楽しむ気持ちは萎えていました。
デモ行進開始までの時間がまだあったので、一人公園を離れて当時の通産省前に行くと、
日本山妙法寺の方々がひたすらうちわ太鼓で「南無妙法蓮華経」を唱えていました。
気がついたら私も一緒にお題目を唱えていました。
お巡りさんがやってきて強制排除にかかりましたが、彼らは非暴力を旨としているので、
排除されながらも唱え続けていました。
若かった私は少し抵抗し、彼らの姿をみて反省したものです。……

その時のことも頭をよぎりつつ、
すでに並んだ人と、これから並ぶ人が向かい合って、お互いの顔を見合って進む形で最後尾に向かいました。
知った顔がいないかと思って注視して最後尾に向かって歩いていたら
みんな、なんかいい顔してる人ばかりで、
いわゆる運動系の気合の入った顔の人は少ないように感じました。
中には、うなづいて合図を送って下さる人もいました。
そんなデモ参加の人々の顔を見ていたら、こみあげてきてしまいました。
こみあげてくるものをこらえようと、視線をそらしていると
「佐藤く~ん」と声がしました。
20年来の知人で、長野大鹿村から来ていた「アキ」さんです。
私が以前仕事をしていた野草社の先輩にあたる方です。
先輩といっても、一緒にお仕事したことはありませんが、
野草社自体が昔から反原発、脱原発を貫いている出版社なので、
(広瀬隆さんの最初の本は野草社刊の『原子力発電とは何か』です)
長らく会っていなくても、この間の脱原発の動きなんかも含めて、
なにも言わなくても共有できる部分があるわけです。
感激でした。

私は持参した竹ボラをザックから取り出し、
吹き鳴らしながら、あるいは「再稼働反対」と声を出しながら進みました。
紫陽花革命と呼ばれているので、紫陽花を持って歩く人もたくさんいました。
「地下水のごとく清く流れ、紫陽花のごとく美しく咲け」
という矢追日聖さんの大倭紫陽花邑の理念の言葉が胸に響きます。

デモの中にいると、全体は見えないので、何人いたかなんてわかりません。
いろいろ発表はあるようです。主催者発表は15万人だそうです。
たぶん、この動きを実りにつなげるためには、まだ何回か繰り返す必要があることでしょう。
再稼働反対の声の響き、命が大事という声、想いの響き、竹ボラの響きを
もっともっと届けなくてはなりません。
毎回は参加できませんが、いつか家族で参加したいと思っています。
子どもたちにも見せてあげたいと思うのです。

デモの様子を少し動画にまとめたのでご覧ください。
途中キャプションで「一揆」の「揆」が抜けているところがあります。


別の動画で竹ボラの音が入っているのがありました。良かったらご覧下さい、というかお聞きください。
0:30あたりから1:05あたりです。ちょっと聞きづらいかも…。イヤホンで聞くとはっきりわかりました。もちろん吹いているのは私です。



竹ボラ、吹く人増えるといいなぁということで、能書きを再掲します。
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『新版 民族楽器をつくる』(関根秀樹著、2003年 創和出版)より

竹ぼら(竹法螺)

 法螺貝が容易に手に入らない地方の庶民は、竹や木で代用ほら貝を作った。直径7~8センチの真竹を36センチくらいに切り、節のそばに吹き口を開けたのが歌舞伎の下座音楽で使う竹ぼら。節の中央に吹き口を開けた縦吹き型もあり、地方によって貝、筒貝、竹筒などとも呼んだ。高価な法螺貝より手軽で吹きやすいので、昔は寄り合いの合図やお祭り、一揆などで吹き鳴らし、近代には芝居、ラジオ、映画の効果音にも陣貝の代わりに使われた。

 竹ぼらの材料は緻密で肉が薄く響きの良いマダケが最高だが、モウソウチクでもできる。長さは8寸(24㎝)~1尺8寸(54㎝)くらい。36~40㎝くらいが一番吹きやすい。長いと軽く吹いても重低音が出るが、大きな音を出すには肺活量が要る。短いとトランペットのように唇をしめて強い力で吹かなければならず、音は甲高くなる。吹き口の大きさは13~24ミリ前後。短いのは穴も小さめがいいが、くちびるの大きさや柔らかさ、吹きかたによって個人差もある。慣れない人は長めに作って穴も大きめにすると音が出やすいようだ。吹き口はくちびるがいたくないようにささくれを取り、角を丸く削る。また、先端開口部の内側をナイフで斜めに面取りすると音がちょっと大きくなる。秋~冬に材料の竹が手に入るならいっぱい作っていろいろやってみるといい。

 元文三(1738)年、奥州岩城(磐城。現在の福島県いわき市とその周辺)で起こった大規模な一揆「岩城騒動」では、8万人の百姓が城下を囲んで竹ぼらを吹き鳴らしたという。
 記録によれば、一揆の群衆は砂を入れて二重にした藁頭巾をかぶり、鎌や鋤や山刀を手に、手製の竹ぼらを携えて集まったという。一揆の申し合わせに、「八、九寸または一尺廻りまでの竹の節を抜きて携ふべし。これは戦争の合図に用ふるほら貝の代用とす」とあるから横吹きではなく、節の真ん中に吹き口をあけた縦吹きタイプだ。寸法がわりと短いので、音は甲高い。
 総勢8万(別な記録では9万)の一揆の衆が「各自腰に付けたる竹筒を一同に吹き立けるが、その声すさまじく波の音とも風とも聞き定めがたく。天地も為に崩るるかと思ふばかり」。う~む。かっこよすぎる。2、3本の竹ぼらを吹き合わせるだけでも「うなり」を生じて音が強まる。それが8万本!もはや想像を絶する。タイムマシンがあったら馳せ参じて一緒に吹き合わせてみたい。いや、それより現代のありあまる竹を有効利用してあちこちで竹ぼらワークショップを開き、数千~数万人規模で国会議事堂とかアメリカ大使館とか首相官邸なんぞを取り囲んで吹き鳴らそうか。吹くのは敵さんのほうがずっとうまそうだが。
---------------------------------------------------------------引用ここまで。

ザックを背負って竹ボラ吹いてのデモで大汗をかいて、
ザックの中では、朝にジュースを足しておいた乳酸菌ジュースの発酵が早く進みアルコールになったようで、帰りの新幹線の中で飲み干しました。お蔭でいい塩梅で眠れました。
2012-6-29-3

炭化学会、デモの旅の間も稼働させていた炭窯は、
帰宅したら、予定通り、炭化が終了するところで、
今日は炭出しに汗しました。
再稼働反対の炭を焼きました。
2012-6-29-4
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2012-6-28-1
木質炭化学会の勉強で盛岡に来ています。
大学の研究者の方々が多い集まりなので、難しい用語なんかもあったりして
理解不能なことも多いですが、
福一由来の放射能をなんとかできないものかと
様々な基礎研究が進められていて、どれも興味深い中身の発表です。
大概は放射性セシウムの代わりに、科学的に同様だろうとされている安定セシウムを使った実験がほとんどで、
そこのあたり、私的には少し疑問符も正直あります。
水守人の会でお世話になっている大森先生の横に座らせていただいて、
そのあたりのところも聞いてみると、実際はやっぱりやってみないとわからないでしょうねという
お答えでした。
2012-6-28-2
調理用に炭を燃焼させた場合の食品への移行は、大変微々たるものだという研究もありました。
ホっ。

旧知の顔も結構あったりして、20年来の再会もあったりで、
体を常に動かしている身には、すわったままお勉強というのは
睡魔との闘いも大変でしたが、楽しい1日でした。
今日も一日ありますが、
夜の首相官邸のデモに行くので、中座します。
2012-6-28-3
旅にも乳酸菌ジュース持参しています。
全部飲み干す前に、100%ジュースを足せば
エンドレスで乳酸菌ジュースを飲むことができるので
私にとっては、旅の必須アイテムです。
ミーが帰幽しました。

みなさんからいただいたたくさんの祈りもむなしくというよりは、
お陰様で彼女の苦しい時間を少なくできたようにも思っています。感謝です。
ありがとうございました。

お礼がてら、帰幽までのことを忘れないうちに書き留めておこうと思います。

退院後の経過の診察ということで、家内が今日の午後動物病院に連れて行きましたが、
やはり容態は思わしくないようで、
カリウムとカルシウムの血中濃度の低さに先生も驚いていた様子だったということでした。
脱水症状もあったとのことで、背中に点滴をしていただきました。
その処置を受けている時も、ミーは家内の方をじっと見ていたそうで、
「大丈夫。今度は絶対連れて帰るから、入院にはしないから」と家内はミーに話したそうです。
家内は家路につくまでもつかなとも思ったそうですが、
家に着いた時には、もうふらふらで歩くような状態でした。
家内と獣医師さんの所見の話や今後の処し方について少し話し合いました。
お空に帰るのに寄り添うことにしようということを確認しました。

ミーの様子を見ると、低血糖の時の症状である涎が出ていたので、
私が彼女を抱きかかえブドウ糖液を与えようとスポイトを彼女の口のところに持っていた刹那、
ミーと視線が合いました。
彼女は「もういいよ」と言っているようで、
思わず「だめだ、もう足すのはやめよう」とこみ上げてきてしまいました。
そのまま見守ることにしました。
終わりがじきに来ることを予感した瞬間でした。
夜に会合がある家内は慌ただしく夕食の準備を終え、いつもよりは少し早めの夕食になりました。
「いただきます」をした後、子どもたちにも、
ミーの死期が迫っていること、
ミーの目が訴えていたこと、
だから延命のために何か足すのはあえてしないことにすることを、
こみ上げながらやっとのことで伝えました。
家内は私が崩れてしまっているので、気丈にしなければと、空元気を出していました。
夕食後も、私はひたすらミーに寄り添うことにしました。
「絶対帰るまでは待っててよ」と言い放って家内と息子は出かけました。
様子は急変し、彼女は這うようにしてしか動けなくなりました。
8時過ぎに、明日は早起きしてテスト勉強をすると言って早めに寝ると娘が言うので、
「最後かもしれないよ」とミーを抱っこするよう促しました。
9時を回って、家内と息子が帰宅、ミーはもう青色吐息でした。
息子は目を赤くしている私を見て、何とも言えない表情を見せ涙をこぼしました。
ミーの様子を見て言わずとも彼女の最期を察知したようでした。
息子の涙を見てしまったら、またまた私もこみ上げてきてしまって、
これはいかんと、息子の視野から少し隠れるようにしました。
息子の涙は私にはきつすぎました。
いよいよ迫っていることは明らかでした。
家内がベッド入った娘を起こし、家族4人で横たわっているミーを囲みました。
起きてきた娘もミーのことの次第を了解したようで、
日頃ポーカーフェイスなのが涙をポロリ、これまた強烈でした。
何回か苦しそうに嘔吐するふうな様子を見せた後、
それまで膨らむのとしぼむのを繰り返していたお腹が動かなくなりました。
それでもまだ心臓は止まっていないようでした。
数回同じく嘔吐様の動きをし、ミーは「ニャオ」と一声残してお空に帰りました。
苦しそうな時間は短くて済んだように感じました。
しばし皆涙を流しました。
ミーと過ごした18年余を感謝しました。午後10時過ぎでした。

見事な今生の最期だったと思います。
私は明日から木質炭化学会の勉強会で1泊で盛岡行きだったので、
それに合わせるようにしての帰幽となり、ある意味絶妙のタイミングでもありました。
そういった意味でも、ミーは最後まで魔法猫でした。


勉強会終了予定の29日夜は、
首相官邸周りでの「大飯原発再稼働反対」の集会(6/22の夜は45000人が集った)があって、
家族4人で参加したいくらいだなんて家内と話していたのですが、
ミーのこともあり、今回は無理だなと諦めていました。


「やっぱりオレ東京言ってこようかな、竹ボラもって」と言うと、
家内は「ミーが行けって言ってくれたんだよ」。
鎮魂と再稼働反対の竹ボラを吹きに、29夜は家族代表で首相官邸に馳せ参じます。


ミーよ、安らかにあれ、オンムニペメフン(観音様のマントラ)。

mi-2012-6
てとてと春号てとてとテーマソングのPVの猫の手はミー手です。これはその撮影の時の一枚。2012-3月。
2012-6-mi-1
1994春生まれの我が家の猫のミー(♀)の調子が悪くなり、急遽入院、10日間して退院し、
彼女の介護生活が続いています。

診断では糖尿ということで、血糖値が不安定な状態です。
ご飯は注射器を使って口の中に押し込む強制給餌、インスリンの注射を日に2回しています。
自分で食べるようになってくれたらいいのですが、なかなか状態は思わしくありません。
漢方治療、自然治療でと、いろいろ調べましたが、なにか施せるような、そんな状況でもなさそうです。

突然のことでした。
というか、気づかずにいただけなのかもしれません。
拙宅回りは、未舗装なので、
ミーは外出して帰宅すると、すぐにその泥足をなめていました。
その泥に含まれていただろう放射能の影響も少なからずあるだろうとも思います。
猫自体は体重も少ないので、人よりもずっと微量で影響は大きいはずです。
私や家内、子供たちを守ることに重点がいってしまっていて、
正直猫のことまで思いが足りませんでした。
犬たちには、ときおり米のとぎ汁乳酸菌を与えています。

まだ帰幽すると決まったわけではありませんが、
思い起こせば、ミーはいつも私たちを守ってくれていたと思います。
自宅出産だった息子の誕生に際しては、
産室にしていた部屋の入口のところに微動だにせずに座り込んで、
入ってくる邪気から新しいいのちを守ってくれているようでした。

いつも、なぜか、彼女はそういった家族によくないものを察知していて
それに立ち向かうようにして、境界のところに門番のようにしていたことがよくありました。

我が家の魔法猫です。守り猫です。

入院から退院まで、
毎日のように車で1時間かけて、子供たちと入院先の動物病院に通いました。
毎夕食の前には、家族4人で手を繋ぎ、
目を閉じて、それぞれが金色の玉のようなものをイメージして
入院先の彼女のところに届けるイメージの瞑想をしました。
時にはナウシカのオームの金色の触手をイメージして……。
退院後は直接彼女に4人の手をあてて、祈りを続けています。

しかし、あまり具合は良くはなりません。
年も年なので、致し方ないことかもしれませんが……。

これよりもさらに悪化した場合、延命の入院はしないでおこう、
ここで最期まで過ごさせてあげようと、家内と覚悟は決めています。

よろしければ、ミーに皆さんの祈りを送ってください。


2012-6-mi-2
入院2日目

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入院4日目

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退院帰宅後2日目、水を飲むミー。

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退院帰宅直後、近くの沢に向かうミー。家の外へふらふらになって、休み休み歩いていくので、そのまま自由にさせてあげていたら、彼女はいつも飲んでいたであろう水場の沢に向かったのでした。
2012-6-23-1
今日の彼の収穫はサワガニです。
湿ったところにある廃材をめくってみたら、その下にいたそうです。
拙宅脇には沢がありますが、それは崖下で、その場所にサワガニがいるのが不思議なんですが、
そんなものなのかもしれません。

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こちらはカナヘビ。学校の彼の教室でも飼っているようで
(担任の先生は爬虫類が大の苦手らしい!)
早速、石や草、木切れを入れて、おうちを作ったそうです。
カナヘビのことを、ここらでは「カナチョロ」といいます。
そのついでに蛇の青大将もいたようで、少々ビビッていた息子です。

その後もいろんなものをめくってみては、なにか収穫物がないか探す息子でした。

たくさんのいのちに触れあって、生き死にを目の当たりにして、びびったり感動したり、うれしかったりして…
そういったいのちとのダイレクトな体験が必ずや将来役に立つと考えています。

2012-6-23-3
今日の炭出しは少々遅くなりました。
午前中は、PTAの奉仕作業で、小学校のプール清掃だったので、
仕事のスタートが遅くなったわけです。
2011年秋の木割の風景です。
仙台メディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の方々に撮影していただきました。
感謝。
息子も休みだったので、少しお手伝いしています。
息子がしているのはカナヤという木を割る道具を、私が鉞で開けた割れ目に入れる仕事です。
体の使い方を工夫することで驚くほど威力が増します。
体全体が鉞をふることに関わるようなイメージで、
今のところは、膝頭で鉞を振っている感じでしょうか。
炭焼を始めた頃よりも、かなり早く楽に木割をすることができるようになっています。
腰を痛めることもなくなりました。

2011年初冬の炭出しと立て込みの風景です。
雪がちらつく中、
仙台メディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の方々に撮影していただきました。
感謝。
自分の仕事を自分でじっくり見ることはできないので、とても勉強になります。
2連の窯のうちの小さ目の窯での様子です。

土と石と木と水と火と……、はたまたチェンソーや運搬車という文明の利器にも…、
感謝しながらの仕事です。

炭焼のスタイルはいろいろあります。
よく考えると、改善すべきことも多々あるでしょう。
これでも師匠のあり方とは随分変化している部分もあります。
しかしながら、この先もきっと、
私はこのスタイルを守り続けていくと思います。

変わる、変わらない、ということすらからも心を解き放って
しかし、変わらない確かなものをこそ大事にして……。

持続していくには、生業として成り立っていることも重要です。
もうちょっとは実入りがよくなるよう努力しようとも考えています。

とらわれることなく、しかし感謝することを忘れないで。
善きあり方へと姿を変えて、しかし変わることなく。


2012-6-17-3

息子の友達が遊びに来て、なにやら熱中しているなと、
炭焼仕事を終えて覗いてみると、
腐りかけて放置してあった直径50センチくらいの丸太を
細い丸太やハンマーを使って細かく砕き、
その中から、クワガタの成虫と幼虫が出てきて大興奮となったようでした。
幼虫はたくさんみつかったけど、成虫の雄が1匹しかでてこなかったので
なんとか友達の分もと、頑張った息子なのでした。

途中、二人ともオスの成虫にはさみで挟まれて出血したようですが、なんのその、
クワガタさがしに夢中になって、朽木を砕き続ける二人なのでした。

結局、収穫は雄の成虫は1匹のみで、雌も1匹、幼虫多数で、
協議の結果、雄は息子、雌は友達、幼虫はそれぞれということで、二人で山分けしたようです。

2012-6-17-1
破壊された丸太の残骸
大と吉の散歩の様子です。
2分弱の動画にしてみました。
サルを見つけると吠えて追いかけたりするので、
お蔭で畑にはサルが来なくなりました。

2012-6-14

いただきものの鹿児島の梅で
家内がいろいろ仕込みました。
感謝!
左から梅シロップが2つ、梅味噌(今回初挑戦!)、梅干し、梅酒が2つ
初挑戦の梅味噌は「梅のある生活梅仕事」を参考にさせていただきました。
ちなみに私はお酒がほとんどだめなので、梅酒は半分以上は家内専用になるかも!?

2012-6-14-2
こちらは、Aさん宅で開催の自家製ビールの講習会で分けてもらってきたビールに、
家内が乳酸菌ジュースを足して、どのようになるか試しているボトル。
通常はくぼんでいる底の部分が、発酵の力でデベソになりました。
チャレンジャーの家内です。

*参考まで
●乳酸菌の進み方(乳酸菌の発酵の状態がいろいろあるようで、その時その時うちでどのように応じているかを時系列的にまとめてみました)〜佐藤家の場合
●レシピ1、2 とぎ汁乳酸菌の作り方、肉魚の下処理
●レシピ3、4 乳酸菌ジュース、レモンスカッシュ
●レシピ5、6 豆乳ヨーグルト、ドレッシング
●レシピ7、8 豆乳ヨーグルトの簡単ぱん、乳酸菌ピザ生地
●レシピ9 おかか乳酸菌液猫用


2012.06.08 瑞祥の彩雲!
2012-6-8-3
隣町の高畠に出かけたおり、彩雲に出くわしました。
雲が虹色になっていました。
3.11以前なら、単純に「美しい!」と喜んでいたのですが、
以降は、これが地震の前兆なんていう話もあったりして、
少々複雑な気持ちになりました。
雲は大地の水とも呼応して動くというような話もあります。
確か、アメリカインディアンは、大地の水が雲を呼ぶと言ってもいたような。
なので、地震の前兆というのも、あながち的外れとも言えなくはありません。
なにかあってはことだと、帰路を急ぎました。
「願わくは瑞祥の彩雲たらんことを」と心の中で念じました。
(瑞祥:よきことの前兆)
2012-6-8-2
そして午後になったら、なんと遠方の友人から、恵みの幸が届きました。
ひとつは鹿児島、ひとつは長野からです。
これだったんだと、勝手に納得し、
「なにびびってんの!?」なんて家内にからかわれながらも、
彩雲は瑞祥だったんだと、胸をなでおろした単純な私でした。

2012-6-8-1
届いたのは、梅、にんにく、干しドクダミ、甘納豆、スギナ、イタドリ、コシアブラ、ウド、ワラビ、玄米よもぎ餅などです。ありがたやありがたや。合掌拝。
さっそく仲間でわけることにしました。

御嶽の山麓に電気なしで暮らす友人からの贈り物の方に添えられていたメッセージを転載します。
彼女は電話で声を聴いただけで相手の体調がわかってしまうほどに感じてしまう方です。
彼女は最近詩がどんどん湧いてきて、その詩に旦那さんが曲をつけてCDを作ったりしています。
レコーディングの時には自宅にソーラーをもってきてしたそうです。
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御嶽山の涼たる生命、木々たち、草々の気が
皆様方の生命につながりますように


合歓の木
一、
幼いころから好きだった
淡い紅花ねむの木を
庭のまん中にうえました
人の心の怒りの気持ち
鎮めるという ねむの木を

二、
一つではたよりなげ
重なり合ってほのぼのと
紅い花つけました
私の心に一条のあかり
ゆらしともす ねむの花

三、
忘れられない三月のあの日
私の心もゆれました
不安の思いにゆれました
苦しい胸のすきまに
怒りのおもい生まれました

四、
季節はめぐり時がきて
花が咲いてはちりました
人の迷いなどしらぬ気に
みつめる心はかるくなり
祈りの日々になりました

2012-6-6
山間の全校児童18名の小さな小学校だからこその話かもしれませんが、
息子の小学校の養護の先生から、画像のような配慮をいただき、
感激でした!!!

町でも全品ではないですが、給食の食材について放射線検査をしていただいていて、
とっても良心的なのですが、
献立をみるとやや心配なものもあったりします。
率直なところ、測定の検出下限値が私たちが望むよりも高いので、
不検出でも安心できないと私たちは考えています。
より低く抑えたいと考えています。

そんな心配を家内が学校に話していたところ、
「食べさせたくないものあったら食べさせないという対応もできますよ。ただそうなるとおかずがなくなることもあると思いますので、その場合はおかずもたせてもらってもいいですよ」
と言っていただけたのでした!!
それだけでも感激なのに、なんと画像のような連絡が養護の先生から来たのです!!!
ありがたや~~~!!感謝感激です。
低い検出下限値で不検出がわかれば、こんなことしなくてもいいのですが、
わからないのであれば、やっぱりそれなりの対処になってしまいます。

放射能が拡散されて、困っているのは、親だけでなく、学校も先生も教育委員会も、みんな一緒だと思います。
対処の仕方が違うのは、お互いの持っている情報が違うだけのことだと思います。
だから決して責めるのではなく、お互いの持っている情報を交換し合って、
子どもたちにとっても親にとっても、なるべくいい環境になることを願って話をしています。
息子の小学校の先生たちには本当に感謝しています。

結城登美雄さんの言葉
「ないものねだりでなく、あるものさがし」
私たちが考える放射能時代を生き抜くモットー
「危険探しだけでなく、幸せ探し、大丈夫なもの探し!」
2012-6-4-1

炭焼仕事は力仕事
樹木をチェンソーであっという間に倒してしまうが、
コナラは重い、イタヤも重い、木は重い

木の重さを感じよ
木のいのちの重さを感じよ
いのちとは、ひとつに重さである
木の重さを十二分に感じよ

炭焼仕事は熱い仕事
1000度の真っ赤な炭に向かう仕事
木の熱を感じよ
木のいのちの熱を感じよ
いのちとは、ひとつに熱である
木の熱を十二分に感じよ

重きいのちを感じよ
熱きいのちを感じよ
はかなきいのちを感じよ
私のいのちを感じよ
あなたのいのちを感じよ
小さきいのちを感じよ
偉大なるいのちを感じよ
妙なるいのちを感じよ
いのちの神秘を感じよ
見えないいのちの営みをこそ感じよ

放射能が拡散された世界で
人間がみずから作ったこの困難の中で
いまだ、原発が再稼働するというのは
ひとつに、おまえの感じ方が足りないからだ
あなたが十二分にいのちを感じていないからだ
私がまだまだいのちを感じていないからだ

手に伝わる木の重さを
おまえはほんとうに感じているのか

汗する頬を焼く木のいのちの熱を
おまえはほんとうに感じているのか

教えられたものだけでなく
伝わっている言葉だけでなく
人が積み重ねてきた科学だけでなく

その奥にある
いのちの営みをこそ感じよ

わたしが道を違わぬよう
おまえの子どもたちが道を見失わぬよう
ほんとうの幸せに近づけるよう

炭焼仕事は力仕事
木の重さを感じ続けよ

2012-6-4-2
たぶん羽化直後のムカシヤンマ
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